今日読み終えたこの本、とってもおもしろかった。この本を読むと、江戸時代というより「江戸」という都市自体が、日本の歴史の中でも日本の国の中でもとっても特異的な街だったんだなということがよくわかりました。
ついつい江戸の文化を見て江戸時代はあんなんだったんだ、と思いがちですが、私たちがよく知っている江戸時代の文化というのは「江戸」という街特有の文化がほとんどで、地方と江戸の文化も暮らしもすべてもろもろ全然ちがったんだなとあらためて思いました。
あとは何と言っても、260年間泰平な世の中が続いたということと、その平和さが世の中に与えた影響。
今、ようやく戦後70年を過ぎて少なくとも日本では平和が保たれて、日本人は平和ぼけしてしまったとよく言われますが、江戸時代は、その平和な世の中が今の4倍近くの年月続いたわけですから、江戸の人がどれだけ平和ぼけしていたか(笑)。
その260年の泰平な世から生まれた江戸っ子文化。
歴史を見る時にどの時代のことも今の私たちの感覚でそのまま見たらいけないなぁとは思いますが、もう江戸、ほんとすごい。平和ぼけ具合も4倍かも(笑)。結構江戸っ子、人間的に堕落しちゃってたり(笑)。でも、だからこそ素晴らしい文化が生まれたという面もあり、歴史は本当に勉強になる。
江戸時代末期にペリーの黒船をはじめ外国船が次々に日本にやってきたとき、武士にとって刀やよろいなどの武器・武具はすでに飾りになっていて、ひどいとさびてて刀が抜けなくなってちゃってたり、もっとひどいと質に売っちゃってたりしていたそう(笑)。
それとか、井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されるときのことだったと思うのですが、護衛についていた彦根藩士たちは以下のように逃げたりしたのですが、そのとき、雪が降っていたので、刀に雪よけのカバーを付けていて刀が抜けなかったとか(笑えない…)。何のための刀なんって。それくらい平和ぼけしていたようです。
でも、この本を読む前に読み終えたのが、たまたま吉田松陰の「留魂録」だったのですが、そんな260年の泰平の時代もとうとう終わりを迎え、外国からの侵略に対する危機感に包まれた世の中に移行していきます。留魂録とこの杉浦さんの本を読んで、その移り変わる気配をよりいっそう感じることができました。
江戸時代末期にペリーの黒船をはじめ外国船が次々に日本にやってきたとき、武士にとって刀やよろいなどの武器・武具はすでに飾りになっていて、ひどいとさびてて刀が抜けなくなってちゃってたり、もっとひどいと質に売っちゃってたりしていたそう(笑)。
それとか、井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されるときのことだったと思うのですが、護衛についていた彦根藩士たちは以下のように逃げたりしたのですが、そのとき、雪が降っていたので、刀に雪よけのカバーを付けていて刀が抜けなかったとか(笑えない…)。何のための刀なんって。それくらい平和ぼけしていたようです。
3月3日5ツ半(午前9時)、直弼を乗せた駕籠は雪の中を、外桜田の藩邸を出て江戸城に向かった。供廻りの徒士、足軽、草履取りなど60余名の行列が桜田門外の杵築藩邸の門前を通り過ぎようとしていた時、関鉄之介を中心とする水戸脱藩浪士17名と薩摩藩士の有村次左衛門の計18名による襲撃を受けた。最初に短銃で撃たれて重傷を負った直弼は駕籠から動けず、供回りの彦根藩士は狼狽して多くが遁走、駕籠を守ろうとした者も刺客に切り伏せられた。刺客は駕籠に何度も刀を突き刺した後、瀕死の直弼を駕籠から引きずり出し、首を刎ねた。享年46(満44歳没)。この事件を桜田門外の変と呼ぶ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E7%9B%B4%E5%BC%BC
でも、この本を読む前に読み終えたのが、たまたま吉田松陰の「留魂録」だったのですが、そんな260年の泰平の時代もとうとう終わりを迎え、外国からの侵略に対する危機感に包まれた世の中に移行していきます。留魂録とこの杉浦さんの本を読んで、その移り変わる気配をよりいっそう感じることができました。
それはさておき、面白かったのは男女の話とそれについて歌った俳句。
もう読みながらくくく…と笑ってしまった!
江戸時代は生粋の江戸っ子は2~3割くらいで、あとはみーんな地方から来た人たちでした。その多くは参勤交代に伴ってくる人々。お侍さんだけではなく、お世話係とかいろーんな人が来ていました。ほぼ全員男性です。ということで、江戸は女性より男性の数のほうが圧倒的に多かったため、独身男性も多かった。幸いにして結婚できたとしても三行半を突きつけられた亭主は二度と結婚できないことが多かったため、女房に頭上がらず、かかあ天下でした。
女房は間男(浮気相手)を持つことも多かったけれど、亭主はそれを知っていても離縁が怖くて知らない振りをしていました。
また、江戸の女の子はおませ…というか早熟だったとか。上方ではだいたい恋の道に落ちる年齢が17歳くらい。江戸は14歳くらい。おませと言えば聞こえはいいが、おそいかかりでもしそうな娘も多く、かなり物騒な雰囲気(笑)。まず、それを物語った歌がこれ。
このごろの娘の偏はけものなり
(解説)
娘の女偏をけものに変えると狼になってしまう。江戸の娘は狼だと驚嘆している男の人の句。
馬鹿らしいいやよと暗いほうへ逃げ
(解説)
馬鹿らしい、いやよと口では言っているけど、結局暗いほうへ誘いこむやり手の娘(笑)。
色娘面白い〱をして太り
(解説)
色とはいわゆる遊びの恋愛や駆け引きを楽しむ恋愛、不特定多数との恋愛などのこと。「面白い」は色事のことで、それが「面白い面白い」と繰り返されているということは複数の色事を表しているとか。で、「太り」というのは体重が増えたということではなく、「妊娠をした」ということ。江戸時代は長屋で「そういうこと」も多かったらしく、妊娠しても誰が父親だかわからないということが多かったそう(笑)。でも子どもは長屋のみんなで育てたりしていたとか。江戸では未婚の女性の出産・妊娠も案外普通のことだったよう。
親父のは息子の買った妹なり
(解説)
吉原で親子して楽しんでいるという句。親父の買った女郎が息子の女郎の妹分であるという句です。息子は年上のおいらんに手ほどきを受け、親父は新造買いといって、若い振り袖を着ているような女郎を買うのが割とおきまりだったとか。
馬鹿亭主うちの戸棚が開けられず
(解説)
間男が戸棚に隠れているのはなんとなく気が付いているけれど、戸棚を開けて間男と相対してしまうと、何らかの決定を下さなければならない。せっかく手に入れた女房を離縁するのはとても惜しいので見て見ぬ振りをする亭主を描いた句。
惜しいこと色を亭主にしてしまい
(解説)
女房が間男を実際にしてしまい、こっちの男のほうがいいというので亭主を追い出して間男を次の亭主にした。ところが、亭主にしたらつまらなくなってしまった(笑)。色のままにしておくべきだったと後悔している様子です。
間男が抱くと泣きやむ気の毒さ
(解説)
どうも亭主の友人が間男のよう。亭主はそれに気づいているのか、はたまた気づいていても、離縁されるのが怖くて見て見ぬふりなのか。そんな中、赤ちゃんがわんわん泣いていた時に、そこにふらっと来た間男がこの赤ちゃんを抱き上げたらぴたっと泣きやんでしまった。つまり、本当の父親はその間男である友人のほうだったという話(笑)。なんだかリアルというか何というか(笑)。
などなど、江戸のこういう大衆文化も本当に面白い。
そのほか、食事情や暮らし、街の様子、江戸の遊びなどなど、いろいろなお話がどれもすごく興味深かったです!
ちなみに、江戸時代に「鎖国していた」というのはもう古い説のようです。江戸幕府はそれなりに海外と貿易をしたり交流をしていたというのが通説のよう(これはこの本からの情報ではありません)。
日本の金銀がヨーロッパに輸出されていたり、浮世絵なんか特に有名ですよね。今は、私たちの年代が習った歴史とは本当にかなり変わっています。私たちの年代が習った源頼朝とか足利尊氏の肖像画なんかも、あれは別人だったということで、今の教科書には出てこないそうです。いやはや、何のために一生懸命覚えたんだか。歴史はひとまず疑って見たり物語として見たりしたほうがよさそうです。
ちなみに、江戸時代に「鎖国していた」というのはもう古い説のようです。江戸幕府はそれなりに海外と貿易をしたり交流をしていたというのが通説のよう(これはこの本からの情報ではありません)。
日本の金銀がヨーロッパに輸出されていたり、浮世絵なんか特に有名ですよね。今は、私たちの年代が習った歴史とは本当にかなり変わっています。私たちの年代が習った源頼朝とか足利尊氏の肖像画なんかも、あれは別人だったということで、今の教科書には出てこないそうです。いやはや、何のために一生懸命覚えたんだか。歴史はひとまず疑って見たり物語として見たりしたほうがよさそうです。
次の本は、がらっと変わって読みかけだったヨガの本を読みます。
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