2023年11月30日
ひとまず書籍の仕事が終わってのんびり
2023年11月28日
あと少し~&朝読書&休憩中にギター
2023年11月27日
プリンタが壊れた・・・・・・
先ほど、仕事の依頼がありOKとの返事をする前に先にもろもろ印刷しておこうと思ってプリンタの電源を入れたら、、、エラーが出て壊れました。
原因も自分で修理する方法も分かっているのですが、面倒だしもう古い型だから新しいのを買ったほうがいいのかも・・・。
結局、仕事は断りました。今週は別件で締め切りがあるからプリンタを購入したり設定したりが億劫です。
商売道具だから困る~。パソコンは予備があるけどプリンタはさすがに予備なんて持てないし。
先週からいろいろと踏んだり蹴ったりな出来事が続いています(踏んだり蹴ったりすぎて、つい太字の赤字にしてしまいました笑)。はぁぁ、もうやだな~。でも1つ1つ目の前のことをやっていくしかないですね😑😑😑
別件があるのでスケジュール的には厳しいけれどまぁできるかなと思って請けようとしていたのですが、つまりは休め、無理するなということですね、きっと・・・。
少なくともプリンタを買って設定するまでは、ここの会社の仕事はお休みできるということかな(自宅で原稿を印刷する必要がある仕事なので)。
最近不規則な生活を送っているので、今日は朝からちゃんと1日の大まかな予定を立てて、19時には仕事を終わらせてお風呂にゆっくり入ってのんびりしようと思っていたのに、思わぬトラブルで時間を無駄にしてしまいました😭。
でもまぁ、今日は朝読書もできたしギターも休憩中に練習したので、今からお風呂に入ってゆっくりします。プリンタは選ぶのめんどいから一番人気のでいいや(笑)。早く届きますように・・・・・・。
ではまた!👋
追記:今Amazon見たら、納品が1~2ヵ月後とかになっとる!楽天ではすぐ購入できそうでしたが、ひとまずプリンタヘッドを洗えばなんとかなるかもしれないので(以前経験済み)洗って乾かしてみます。直りますよーに!
2023年11月26日
先週(今週?)の諸々
いつも日曜日から見て前の月~日を今週と呼ぶのか、月~土を先週と呼ぶのか分かりません。。。でも決まったルールなどもなさそうです。
まだまだ仕事続きの日々ですが、昨日から作業をスタートした自己啓発本(念のため小さい文字で書きます)の校正が、思ったよりも読みやすく捗って、少しほっとして心に余裕ができてきました(昨日一昨日なんとか納品できたエクササイズ本は大変だった)。
金曜日は太田記念美術館に応為の絵を見に行こうと思っていたのですが、結構疲れていて、行けなくはないけどここで無理していいものか……と悩み、結局今回は諦めて次回公開されるのをまた楽しみに待つことにしました。
展示自体は今日まででしたが、美術館のXによると、23日の休日も昨日今日もすごい人出だったようです。まぁ、そもそも週末に行くつもりは全くなかったのですが。
そして!!
火曜日のチョ・ソンジン&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサート、素晴らしかったです!!指揮者(アンドリス・ネルソン)の方ともオケとも何度か共演しているようなので、息も合っていたように思います。
もちろんチョ・ソンジンの演奏も素晴らしくて神がかっていましたが、オケも素晴らしかった。個人的には、ホルンの音の美しさが衝撃的でした。
諸々はまた後々観賞記録を書きますが、欲が出て、もっとレベルの高いオケの演奏が聴きたいと思ったら、オケランキング上位の「ウィーンフィル」のコンサートのチラシが入っていたので帰宅後即効予約!
さらに、来年の6月にまたチョ・ソンジンが、今度はリサイタルで名古屋に来るようなのでそちらも予約。予約開始日に予約したので安い席が取れました(名古屋に行く新幹線代もいるので安い席は助かる)。東京にも来ないのかな。
先日、また読みたい本を仕事の合間に買ってしまったので、そろそろまた積ん読本が増えてきました。今週(27日~)木曜日の締め切りが終わったら、その次の週末はゆっくり休みたいです。また12月半ばに出勤仕事があるし。あとは年末年始に読書三昧するかな。
ほかにも大小ちょっとしたことがいろいろとあった1週間でしたが、明日から1週間弱で11月ももう終わり。いよいよ年末です。
8月後半以降は仕事しかしていない気がします……。仕事のことについていろいろと考えなければいけないな(スケジュールとか)。
仕事以外のことで来年の目標をいくつか思いついたので、ぼちぼち来年のことでも考えていこうと思います。
2023年11月21日
副鼻腔炎時の漢方&その他諸々
2023年11月18日
2023年11月15日
PHPオンライン の加藤諦三さんのコラム
今日からまた数日出勤~。今朝1つ仕事を納品して出かける時間になるまでぼーっとしています。
先日、加藤諦三先生の著書をたくさん読了しましたが、久々にはまってしまい、公式HPのコラムを読みふけっていました。
1つ、私が今自分の性格で悩んでいるというか気になっている部分があって、そのワード+「加藤諦三」と検索したら、PHPオンラインのコラムが出てきました。
先生の著書を読む前に公式HPを読むのをおすすめしたいのですが、このPHPも情報量がすごいし、先生の著書のテーマが簡潔にまとめられていてとてもおすすめです。
⏩公式HP
出勤前なのに読みふけっちゃってます。
2023年11月14日
久々に英日翻訳の求人に応募してみました
明日からまた出勤なのに今やっている別件の仕事になかなか集中できなくて捗らず、こんな時間までかかってしまいました(22時…)💦
先日、まずはチェッカーから始めるので分野未経験でもOKという英日翻訳の求人がありました。
しかもその分野というのが理系の技術関連なのですが、フリーランスになってすぐに数年にわたり断続的に翻訳や文字起こしで携わっていた時に興味を持ち、また翻訳で携わりたいとずっと思っていた分野でした。
でもなかなかピンポイントで求人が出ない分野なのでおぉっ!という感じ。しかも未経験でもやらせてもらえるというのも私にとってはありがたい。
それで思い切って応募してみたところ書類審査は通過でき、トライアル文が送られてきました。
あんまり自信はないけれど、トライアルに合格できるといいなぁ…。
2023年11月13日
【読了】人生の純度が上がる手帳術 (おまけのおすすめ:やりたいことを全部やる人生)
【読了】「大人になりきれない人」の心理 他6冊
金曜日に続き今日も出勤の仕事の中休みで、今朝1つ仕事を納品して午後からのんびり過ごしています。今日は太田記念美術館も休館日なので葛飾応為「吉原格子先之図」もお預けです。
昨日、アニメ『進撃の巨人』のファイナルシーズンの後半(完結編)を一気見してしまい、今日も何か動画が見たくて複数の動画サイトでサスペンスを探すもほとんど見たものばかり。友人たちが激推ししていた『ブラッシュアップライフ』も1話の途中まで見て挫折…
それでぱっと目に入った↓これ。
前々からいつも動画サイトでタイトルを目にしていて、主演の本宮泰風が昔からよくサスペンスに出ていて好きなので(お兄さんの原田龍二も好き)気になりつつも任侠ドラマだから特に興味ないかなと思っていたのですが、、、
「北海道編」!!
ということで、早速見てみたら、面白い!サスペンス要素がかなりあり、しかも皆さん微妙に演技が…(笑)。ちょっとギャグっぽいやり取りやツッコミどころがポツポツあったりなどなど、ドラマ自体も面白いのだけど、何より北海道の風景が素晴らしい✨。今のところ舞台は根室&小樽と、数年前に父と旅行した以外にも私も何度か訪れていてまぁまぁ知っている場所なので見ていて楽しいです。ちょこちょこ飛行機や船の映像も出てきたりして、旅を感じさせるのも👌
で、まだ全話配信されていなかったようで、5話がすごくいいところで終わってしまいました。ショック!次の配信予定も書いていないので分かりません。楽しみにしていたいと思います。
さて、AmazonのKindle Unlimitedが3ヵ月99円(だったかな?)のキャンペーンをやっていたので登録して、久々に加藤諦三の先生の著書をいろいろ読みました。
何度も書いていますが、留学時代にいろいろと挫折を経験した時に加藤諦三先生のHPを見つけ、当時は電子書籍がなかったもののHPに著書から抜き出したたくさんの文章が掲載されていたのでそれをとにかく書き写して励まされていました。
日本に帰ってからも、本を購入(ちなみにいつでも読めるKindleがおすすめ)して時々見返したり、先生のHPに載っている動画やYoutubeで「テレフォン人生相談」の動画を見たりしています。
今回もまだまだ未読の本があったので、ぱっと見て、あ、これまだ読んでいないなというものを選びました。
神経症の人はなぜ社会で生きづらいのかということが加藤諦三先生の全ての著書の大きなテーマだと思います。なので言ってしまえば、どの本も結構同じことが繰り返し繰り返し書かれています。
誰しもきっと生きづらいと思う経験を一度はしていると思います。「神経症」とあるけれど読んでみると本当に普通の人でもそういうとこあるよね、自分もあるよね、と思うことが満載です。
そしてああ、これが自分の悩みの原因かもしれないなと気づくことが多いです。解決策というのはほとんど書かれていないのですが、個人的には「気づく」ことでなぜか半分ぐらいは悩みが解決したり気持ちがふっきれたりするのです。
加藤諦三先生の言葉をたくさん浴びていると不思議と自分なりの解決策が思い浮かんだりまたは執着からふっと解き放たれる瞬間があります。
夏目漱石が「私の個人主義」で語った、他人任せではなく「自己本位」の考えができた時に悩みが解決したというのと似ているかもしれません。
以下読んだ本です。
五歳の子どもに、三十歳のビジネスマンのような生き方はできない。しかし「五歳児の大人」は、何の責任も負うことなくチヤホヤされていたいと願いながらも、「大人として」生きなければならないのだ。大人になりきれない人にとって、自信もなく、人を許せず、軽蔑を恐れながら過ごす日常は辛い。それに振り回されるまわりの人もまた、辛いはずだ。本書は、大人のフリに疲れた人の困った言動とその原因を分析し、今より心豊かに、人に優しく、満足感をもって生きるための方法を、自身も「五歳児の大人だった」という著者が説き明かす。彼らを上司や同僚、家族や友人に持ってしまった人たちにも役立つ心理学。「最近の日本の親は五歳児の大人が多い」「五歳児の大人を救う3つの条件」「幼稚さを認める勇気を持とう」など、現代社会の問題点や問題解決のための具体的アドバイスを満載した人生論。『「五歳児の大人」とそのまわりの人のための心理学』を改題。
なぜか鬱々と気が晴れない、他人が気になって仕方がない、そんなマイナス感情に苦しめられる人々を救う自立の哲学を、やさしく説く書。
それは、弱点でも恥でもない!社会的に立派でないと人として価値がないと思ってはいないだろうか? 社会的に立派な人が、必ずしも「生きる」ことにおいて立派な人ではない。社会的に立派でない人でも、「生きる」ことにおいて立派な人はいくらでもいる。他人の目や情報に振り回されていては、いつまでたっても幸せにはなれない。人は、自分を理解したとき、初めて「努力」と「幸せ」が結びつくのである。自分の間違った生き方を含めて、すべてを受け入れて、はじめて自分を信頼できるようになる。自分の弱さを認めることが、独自性のある強さを手に入れる第一歩なのだ。頑張っているのに報われない、努力しても何も変わらない……、そんな空しさを抱える人たちへ贈る心理学。
なぜ、心豊かに、人にやさしく、満足感をもって生きられないのだろうか? そんな「大人になれない大人」たちの心を成長させるヒント。
相手に迎合してしまう、自分に自信がない、嫌われるのが怖い――。誰でも人から好かれたいと思っているが、そのために自分を偽り、見栄を張ると生きるのがつらくなる。「相手に合わせること」=「人に好かれること」ではないのだ。本書では、「ふれあいとはつきあいに無理がないこと」「すべての人と親しくする必要はない」「抵抗なく何でも話せれば癒される」「『ありがとう』の気持ちを伝える」「『はじめの同感』が大切」「自分を大切にしない人は、他人も大切にできない」など、「好かれる人」になるために必要な素養を心理学者が優しくアドバイスする。“自分が好かれるためではなく、それが相手にとって気分がよいだろうという相手への思いやりから、それをするときに幸せになる”と著者も言うように、大事なのは好かれるためのテクニックではなく、ありのままの自分を認め、相手を受け止め大切にするコミュニケーション能力だ。人間関係に悩むすべての人に贈る人生論。
なぜ、安心感やくつろぎを得られないのか。それは貴方の受け身的依存心に原因がある。今までの人間関係を見直し、積極的な生き方を開くための心理法則を提示する。
・人の評価が常に気になる。・どこかで今以上の何かを期待している。・すぐに成果がでないと不安。・無駄なことはしたくない。――こんな感情に人は、「依存の心理」が垣間見える。どこか不安で自分に自信を持てないのは、「心の自立」ができていないのでは? 本書では、ありのままの自分という存在に自信が持てるようになることで、その自信が心の支えになるとアドバイス。自分自身を認め、本当の心の自立をすることで、逆境に折れない生き方を学ぶ。他人にどう思われるかではなく、自分がどう思うかを大切にすれば、不安はなくなる。『心の支え方』を改題。
2023年11月11日
【読了】私の個人主義
水曜日から出勤でしたが、ゲラの出が小康状態になったため金曜日と月曜日がお休みとなりました(わーぃ笑)。
昨日はちょうど良いから太田記念美術館に例の絵を見に行こうと思っていたのですが、副鼻腔炎がまだ良くならなくて、薬がなくなって朝から顔と頭が重くて痛い感じだったので動けず。午後にようやく少しましになったので病院に行ってお薬をもらってきました。早く完治してほしいです。
さて、ずっと前からちょこちょこと読み進めていた本です。ようやく読み終えました。
文豪漱石は、座談や講演の名手としても定評があった。身近の事がらを糸口に、深い識見や主張を盛り込み、やがて独創的な思想の高みへと導く。その語り口は機知と諧謔に富み、聴者を決してあきさせない。漱石の根本思想たる近代個人主義の考え方を論じた「私の個人主義」、先見に富む優れた文明批評の「現代日本の開化」、他に「道楽と職業」「中味と形式」「文芸と道徳」など魅力あふれる5つの講演を収録。
長谷川博己が演じた夏目漱石の印象が強いためか、なんか夏目漱石が好きです(笑)。あぁ、思い出したら直に見たあの日を思い出す💕。いやでも、文学的にも夏目漱石の作品は好きだなと感じます。
この本は講演集で、本書の中で夏目漱石は教師として教えるのがすごく嫌いだったと言っていますが、どの講演も話術が巧みで、書くだけでなく喋るほうも才能があったのではないかなと思います。
内容はちょっと難しい部分もありますが、前の登壇者や紹介者をさりげなく褒め、時に自虐を織り交ぜながら、聴衆に薫陶を与えるような内容をクールにでもどこか情熱的に語る夏目漱石の姿が印象的でした。
内容は↓の動画で分かりやすくまとめられているのでよかったら見てみてください。
私が一番印象に残った講演は「現代日本の開花」です。
夏目漱石は明治維新の前年に生まれたそうで、文明開化の波に翻弄される時代に育ったのだと思いますが、開花開花と騒ぎ立てる潮流に違和感を持っていたようです。
西洋人が長きにわたって築き上げてきた文明を、それを取り入れて間もない日本人がなんの苦労もなくあたかも自然発生的に生み出されたかのように考えその中に身を置けば、時間を早送りしているのだから神経衰弱にかかり息も絶え絶えになるのは当たり前のことだろうと夏目漱石は考えていたようです。つまりこの時代、そういう時代のスピードについていけなくて精神を病む人が多かったということなのかもしれません。
そして明治の文明開花は、長い時間をかけて内発的に文化を発展・熟成させてきたものが、開国と同時に突然西洋文化に晒されて曲折しなければならないほどの強烈な影響を受けたのだから、内発的ではなく外発的なものであると言っています。 では外発的・内発的とはどういうことかと言うと…
一言にして云えば開化の推移はどうしても内発的でなければ嘘だと申上げたいのであります。ちょっとした話が私は今ここで演説をしている。するとそれを御聞きになるあなたがたの方から云えば初めの十分間くらいは私が何を主眼に云うかよく分らない、二十分目ぐらいになってようやく筋道がついて、三十分目くらいにはようやく油がのって少しはちょっと面白くなり、四十分目にはまたぼんやりし出し、五十分目には退屈を催し、一時間目には欠伸(あくび)が出る。とそう私の想像通り行くか行かないか分りませんが、もしそうだとするならば、私が無理にここで二時間も三時間もしゃべっては、あなた方の心理作用に反して我を張ると同じ事でけっして成功はできない。なぜかと云えばこの講演がその場合あなた方の自然に逆った外発的のものになるからであります。いくら咽喉(のど)を絞り声を嗄らして怒鳴ってみたってあなたがたはもう私の講演の要求の度を経過したのだからいけません。あなた方は講演よりも茶菓子が食いたくなったり酒が飲みたくなったり氷水が欲しくなったりする。その方が内発的なのだから自然の推移で無理のないところなのである。
という分かりやすいたとえで説明されていました。つまり、この文明開化には無理があると漱石は考えていたようです。
で、結局どうしたらいいの?というのは漱石にも名案はなく、
ただできるだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。
とのこと。ここで講演は終わります。結局この当時の漱石はまだ明確な解決法が提示できなかったようです。
これが明治44年の講演で、亡くなる2年前の大正3年に行われた表題の「私の個人主義」では、他人本位ではない生き方=自己本位=個人主義で生きることによって自分が救われたと言っています。自己本位で生きることがつまりは外発的な開花の波の中で力強く生きることの答えなのではないかなと思いました。
ちょっと長いけれど、漱石の強いメッセージが伝わるなあと思ったので以下引用です。
私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧《きり》の中に閉じ込められた孤独《こどく》の人間のように立ち竦《すく》んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射《さ》して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条《ひとすじ》で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかも嚢《ふくろ》の中に詰《つ》められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐《きり》さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥《あせ》り抜《ぬ》いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝《いんうつ》な日を送ったのであります。
私はこうした不安を抱《いだ》いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越《ひっこ》し、また同様の不安を胸の底に畳《たた》んでついに外国まで渡《わた》ったのであります。しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然《いぜん》として自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐は倫敦《ロンドン》中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足《たし》にはならないのだと諦《あきら》めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。
この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念《がいねん》を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟《さと》ったのです。今までは全く他人本位で、根のない萍《うきぐさ》のように、そこいらをでたらめに漂《ただ》よっていたから、駄目《だめ》であったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似《ひとまね》を指すのです。一口にこう云ってしまえば、馬鹿らしく聞こえるから、誰もそんな人真似をする訳がないと不審《ふしん》がられるかも知れませんが、事実はけっしてそうではないのです。近頃|流行《はや》るベルグソンでもオイケンでもみんな向《むこ》うの人がとやかくいうので日本人もその尻馬《しりうま》に乗って騒《さわ》ぐのです。ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従《もうじゅう》して威張《いば》ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴《ふいちょう》して得意がった男が比々|皆《みな》是《これ》なりと云いたいくらいごろごろしていました。他《ひと》の悪口ではありません。こういう私が現にそれだったのです。たとえばある西洋人が甲《こう》という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑《ふ》に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触《ふ》れ散らかすのです。つまり鵜呑《うのみ》と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔《わがものがお》にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞《ほ》めるのです。
けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手もなく孔雀《くじゃく》の羽根を身に着けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華《ふか》を去って摯実《しじつ》につかなければ、自分の腹の中はいつまで経《た》ったって安心はできないという事に気がつき出したのです。
たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとか云っても、それはその西洋人の見るところで、私の参考にならん事はないにしても、私にそう思えなければ、とうてい受売《うけうり》をすべきはずのものではないのです。私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢《どひ》でない以上はこれくらいの見識は国民の一員として具《そな》えていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。
しかし私は英文学を専攻する。その本場の批評家のいうところと私の考《かんがえ》と矛盾《むじゅん》してはどうも普通《ふつう》の場合気が引ける事になる。そこでこうした矛盾がはたしてどこから出るかという事を考えなければならなくなる。風俗、人情、習慣、溯《さかのぼ》っては国民の性格皆この矛盾の原因になっているに相違ない。それを、普通の学者は単に文学と科学とを混同して、甲の国民に気に入るものはきっと乙《おつ》の国民の賞讃を得るにきまっている、そうした必然性が含《ふく》まれていると誤認してかかる。そこが間違っていると云わなければならない。たといこの矛盾を融和《ゆうわ》する事が不可能にしても、それを説明する事はできるはずだ。そうして単にその説明だけでも日本の文壇《ぶんだん》には一道の光明を投げ与《あた》える事ができる。――こう私はその時始めて悟ったのでした。はなはだ遅《おそ》まきの話で慚愧《ざんき》の至《いたり》でありますけれども、事実だから偽《いつわ》らないところを申し上げるのです。
私はそれから文芸に対する自己の立脚地《りっきゃくち》を堅《かた》めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁《えん》のない書物を読み始めました。一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的《てつがくてき》の思索《しさく》に耽《ふけ》り出したのであります。今は時勢が違いますから、この辺の事は多少頭のある人にはよく解せられているはずですが、その頃は私が幼稚《ようち》な上に、世間がまだそれほど進んでいなかったので、私のやり方は実際やむをえなかったのです。
私はこの自己本位という言葉を自分の手に握《にぎ》ってから大変強くなりました。彼《かれ》ら何者ぞやと気慨《きがい》が出ました。今まで茫然《ぼうぜん》と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図《さしず》をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。
自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯《しょうがい》の事業としようと考えたのです。
その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰欝《いんうつ》な倫敦を眺めたのです。比喩《ひゆ》で申すと、私は多年の間|懊悩《おうのう》した結果ようやく自分の鶴嘴《つるはし》をがちりと鉱脈に掘《ほ》り当てたような気がしたのです。なお繰《く》り返《かえ》していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。
久々に読書記録を長々と書いてみました。ちょっと難しいけれど折を見て読み返したい1冊だなと思いました。
ここのところ副鼻腔炎の影響でゴロゴロしていないと辛いので、Kindleで久々に社会心理学者の加藤諦三先生の本もいくつか読みました。留学中に挫折を経験した時に加藤諦三先生の言葉に本当に助けられました。あの時ほど悩みもなく幸せに生きている今でも、どの本を何度読んでもやっぱり未だに励まされます。週末~月曜は仕事も少なめなのでこちらの読了記録も書くぞ~😆
2023年11月7日
【令和5年・読書記録】10月に読んだ本(3冊)
10月も読書という読書ができませんでしたが、読んだのはこの2冊。
【読了】ミドリ薬品漢方堂のまいにち漢方 体と心をいたわる365のコツ
ミドリ薬品漢方堂のまいにち漢方 体と心をいたわる365のコツ
Twitterで大人気!1948年創業の「ミドリ薬品 漢方堂」三代目、櫻井先生の健康になる暮らしのヒントが1冊に!中医学の理論に基づく食事のとり方やかんたん薬膳、気になる症状の対処法、季節に合わせた養生、心をいたわるコツなどを、1日1テーマ、やさしい文章とシンプルなイラストで紹介します。
【読了】自然やせ力 運動オタクが運動やめたらー10kg! やせ細胞を120%呼び覚ます養生