芥川龍之介が好きという甥っ子から勧められたので読んでみました。
大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短編小説。初出は「中央公論」[1920(大正9)年]。初刊は「夜来の花」[新潮社、1921(大正10)年]。従兄で作家志望の「俊吉」と結婚するはずだった才媛の「信子」は別の青年と結婚し、妹の「照子」と「俊吉」が結婚する。「信子」は自らの寂しさを秋と思う。芥川の作風の新境地として評価された現代小説。Amazon HPより
翻訳をやったり文字おこしをやったり校正をやったり…… 趣味はボサノバギター弾き語り
芥川龍之介が好きという甥っ子から勧められたので読んでみました。
大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短編小説。初出は「中央公論」[1920(大正9)年]。初刊は「夜来の花」[新潮社、1921(大正10)年]。従兄で作家志望の「俊吉」と結婚するはずだった才媛の「信子」は別の青年と結婚し、妹の「照子」と「俊吉」が結婚する。「信子」は自らの寂しさを秋と思う。芥川の作風の新境地として評価された現代小説。Amazon HPより
私と同じ顔……あなたは誰?京都を舞台に描く伝統美の到達点京都の呉服問屋の娘である千重子は、幼馴染の大学生、真一と平安神宮へ花見に出かける。夕暮れ時、彼女はある秘密を明かすが、真一は本気にしなかった。その数か月後、夏の祇園祭の夜に、千重子は自分とそっくりな娘と出会う。あなたは、いったい誰? 運命の歯車が回り始めた……。京都の伝統ある行事や街並み、移ろう季節を背景に、日本人の魂の底に潜む原風景を流麗に描く。ノーベル文学賞対象作品。(Amazon HPより)
情景どころか温度や香りまで感じられるようなあまりに美しい文章で、完全に川端康成にはまってしまいました。
生き別れた双子の姉妹が再会する物語なのですが、雪国もそうでしたが、川端康成の小説では人物の輪郭はあまりくっきり描かれず、どちらかというと全体性というか世界観というか、それが前面に押し出されているように感じます。
人物の描写はそれなりに詳細に書かれているのになぜかぼんやりと世界に溶け込んでいる感じで、全体的に幻想的です。
最後の解説でそうか、と思ったのですが、結局『古都』というタイトルが示すように、本当に描きたかったのは二人の姉妹の運命ではなく、京都という街そのものだったのだと腑に落ちました。
千重子と苗子という二人の存在は、この「古都」という大きな主役を引き立てるための美しい背景だったように思います。
京言葉の台詞も、はんなりしていて物語に引き込まれる要因だったように思います。最後に川端康成自身の解説で、一部どうしても譲れなくて修正を却下した部分もあったけれど京都の方にだいぶ修正してもらったとありました。川端康成本人もだいぶ自身の文章を校正されたそうです。
繰り返しになりますが、本当に美しい文章で、物語もどこか切なさがあって、最後のほうは涙ぐんでしまいました。
で、ですね、ここからなんですが、ここまで言うのは申し訳なくて作家さんの名前は書けませんが(AmazonHPには書いてありますが)、芥川賞作家の方の解説が増補として収録されていまして、それが・・・すみません、川端康成の美しい文章を台なしにしているようで、最後の最後であぁぁぁと思ってしまいました。
えぇ、どうして京都の舞妓さん芸妓さんや杉山などの香りが漂ってきそうな文章の解説に、まさかの○○や△△の香りの描写を入れてくるのでしょう。げんなりしてしまいました。
彼女の作品を読んだことがないのでなんとも言えないのですが、感性の違いというか、ああそういうものなんだなと思いました。
でも、現代人的な感性の解説もこれからは必要なのかもしれないですね。特に昔の文学はまだまだだいぶ昔の方の解説がそのまま使われていたりするので。今回の増補収録はその意図もあったのかもしれません。
ちなみに、祖父の本棚から引っ張り出してきた中央公論社の文学全集の解説は、川端康成の弟子である三島由紀夫で、付録に川端康成と三島由紀夫の対談まで付いていてテンションが上がります。
さすがに三島由紀夫の解説は格調高く、印象的な書き出しだったので引用します。
川端康成氏について、ニイチェの言葉を借りるのは不似合かもしれない。しかしニイチェが「ニイチェ・コントラ・ワグナー」の中で、ワグナーについて言っている次のような言葉は、ふしぎなほど、川端文学に当てはまる。
「彼は実に微小なものの巨匠なのだ」
さらにニイチェは、こう言葉を継ぐ。
「ところが彼(ワグナー)はそうであることを欲しない。彼の性格はむしろ大きな壁と大胆な壁画を愛する」
この後段は、川端文学と正に正反対である。川端氏はワグナーとはちがって、むしろ「そうあることを欲し」、かつその性格は、「大きな壁と大胆な壁画」とを愛さない。徒(いたず)らに粗大な構図を愛さない。
『古都』は亡くなる10年くらい前に書かれたようなので、だいぶ後期のある程度完成された 作品のようです。短編が多く作品数が膨大なため全部は読み切れないと思いますが、代表作だけでもいろいろ読んでいきたいと思います。
明日からの旅行にはこの3冊を持っていくつもりです。
全部読めないかもしれないけど、特に夜はいつも父も甥っ子も私も干渉し合うことなく三者三様に過ごしているので、ゆっくり読書できそうです。
先日見た下村観山の『弱法師』をはじめ好きな絵がいくつかあるのですが、そのなかの1つ、北野恒富の『道行』が7月から滋賀県立博物館で見られるということで、行きたいなと思っているのですが、滋賀県・・・遠い・・・。
この👆チラシの絵、これが好きなんです。
北野恒富『道行』出典:滋賀県立博物館HP
誰の絵か長い間知らずにいたのですが、今回この展覧会があることを知って初めて、北野恒富という人の『道行』という作品だということを知りました。
8月は出勤なので行くとしたら7月。滋賀県まで行くのなら、和歌山県に行ってもう1回下村観山展を見るという手もある・・・・・・。
和歌山では、東京では展示されなかった作品もあるらしいし。
実は結局後期にもう1回見に行ったんです。単眼鏡もばっちり借りました。でも作品としては、やっぱり前期のほうが良かったです。
前期は比較的空いていたのですが、後期に行ったときは少し混でいて、単眼鏡でゆっくり見ていると迷惑がられてなんとなく居心地が悪かったです。若い人は素通りしてくれるんですが、特に年配の方が・・・💀
それはともかく、行くとして、和歌山からは飛行機で帰るとしても、滋賀県までどう行くか。伊丹から行くか・・・悩む。
大物の仕事に取りかかりたくなくて、本当は昼からできるはずだったのですが、だらだらしていたら夜になってしまいました。
それでもまだ仕事したくなくて、これに悩んでいます😂
ひとまず、仕事が終わってから悩もう。
なかなか読了記録が書けないので、読了本を一覧にしてズンズン更新する形にし、気に入った本や紹介したい本だけ詳しく書くスタイルにしてみます(本人の備忘録も兼ねています)。
5月はまだリンクを入れていませんが、更新し次第またアップしていきますね! 川端康成の「美しい日本の私」は読了ブログ書くつもりなので、こちらもまた更新できたらアップします🫡。
2月
➊川端康成『雪国 』(⏩読了ブログ)
3月
➊大島梢絵『11人の本棚と愛読書 私たちの読書生活』(⏩読了ブログ)
➋苫米地英人『生成AIの正体』(⏩読了ブログ)
4月
➊ドストエフスキー『罪と罰』(⏩読了ブログ)
➋青木さやか『お金まわりを見直したら人生が変わった』(⏩読了ブログ)
➌伊藤浩介『脳と音楽』(⏩読了ブログ)
5月
➊山野弘樹『20代からの文章読解~人文学的思考を鍛える「読み方」10講』
(⏩読了ブログ)
➋三浦清美『ロシアの思考回路 その精神史から見つめたウクライナ侵攻の深層』
(⏩読了ブログ)
➊川端康成『古都』
➋岡本太郎『神秘日本』
➌細谷功『メタ思考トレーニング 発想力が飛躍的にアップする34問』(P)
➍夏目漱石『三四郎』
暑いです・・・。
先週末は寒すぎて、電気ストーブを引っ張り出したのですが、今週はまた暑くなって湿気もあったのでしんどかったです。
東京は、昨日の午後くらいから今日にかけてはカラッとしていますが、連日強風で埃がすごい。
さて、5月の和訳チェックの仕事も無事一段落したようなので、来週は出勤の仕事になりそうです。
・・・と思っていたのですが、書籍の仕事のほうをお願いしたいということで出勤は一応なくなりました。
週末はゆっくり休んで月曜日からがんばろうと思っていたのですが、書籍の仕事の締め切りが来週金曜日なのでゆっくり休んでいられなくなりました。ふぅ・・・💨💨
話は飛びますが、最近川端康成にはまっています。
先日「美しい日本の私」を読み終えたのですが、結構前から飛び飛びに読んでいたのでいざ読了ブログを書こうと思っても内容を思い出せなくて。
それよりなにより、文章がとても美しかったのでもう一度最初から読み直そうと思っています。
それと同時に、「古都」を読み始めました。夏目漱石は、私の印象では割と淡々とした感じですが、川端康成の文章はしっとりとした感じで女性的感性を感じます。
川端康成の小説は短めなものが多いし、一文一文自体も短めで頭でというより感性で読める感じなので、仕事の合間の休憩中で多少頭が疲れていても読み進めることができる感じがします。
またまた話が飛びますが、ベレ出版から中・上級のイタリア語本が出るようで、気になります。
語学を再開する余裕が全然ないのですが、やっぱり新しい語学本が出ると気になります。
ひとまず今はボサノバ弾き語りの上達用にDuolingoでポルトガル語をやっていて、なんとか聴き取りと挨拶程度ぐらいでもできるようになりたいなと思っているのですが、それとは別に原語で本を読むっていうのをやりたいなとは思っているのです。
だから基本的には小説だと英語ドイツ語フランス語あたりが多くなるかもしれませんが。
いつになることやら・・・。
今日のノルマがあと少しあるのでまた✋
朝の投稿の話の続きではないけれど、尊敬する友人の1人で、中学の同級生のCちゃん。
ものすごく仕事ができる人で、転職するたびに自分の意志と反してなぜか管理職になってしまう。
責任感もあるので管理職になったからにはちゃんと成果を出して会社に貢献するまでは職務を全うするけれど、もうのんびりしようと思って転職→なぜかまた管理職になる(される)、をここ3~4回繰り返しています。
今日久々に連絡があって長話をしていたら、2月に仕事を辞めることになっていたのですが、社長に引き留められて今も続けているとか。
社長に辞めてどうするのと聞かれたので、「小説を書きたい」と言ったらしいです。それで、「生きていけるのか」と心配されて(まぁ引き留める口実だとは思うけれど)、なんだか辞める話が有耶無耶になってしまったのだそう。
私も初耳で、「えーーーっっ!!!」とのけぞってしまいました。
そうしたら、学生の時から作文で褒められることが多かったらしくて、密かに小説を書きたいという夢を持っていたと言うじゃないですか。
Cちゃんがたまたま仲良くしている元同僚の人が、会社を辞めてnoteに小説を書いていて、本を作って同人誌的な感じで製本したりしているそうで、そのを聞いてその手があったか!と思って「小説を書きたい」という思いが再燃したそうです。
それなりに蓄えもあるからお金にはしばらく困らない。今まで漠然と持っていた小説を書くという夢が、一気に現実的になって具体的にどうしたらいいかなどをいろいろ考えている。
などなど、いろいろ話を聞いていて、やっぱりCちゃんと話していると刺激をもらえて楽しいなと思いました。
中学の同級生とは言え、中学の時は同じクラスになったことがなくて私の親友の幼稚園からの友達、というので話すくらいだったので、仲良くなったのは大人になってから。
なので、中学の時にどういう作文を書いていたかなどは全然知らなくて、ぜひぜひCちゃんが書いたものを読みたいから、個人的には早く会社を辞めてnoteで連載してほしい。
偶然にも最近ときどき見ている動画が会社を辞めて小説を書いている人のYouTubeチャンネルで、千葉のほうに小説を書いたりする人のための逗留プランのある旅館があって1人合宿していたのを見て、楽しそう~と思っていたので、そういう話でも盛り上がりました。
さすがに引き留めた社長も「夢を諦めさせてしまったのではないか」と思ったらしく、悪いなと思ったのかもう一度話し合いをするためにと会食をセッティングされたらしいですが、たぶんまた引き留められるな・・・。
まぁでも、いいですねぇ。そういう突拍子もない話を聞くのが大好きです。仕事を続けるにしても、小説を書き始めるために会社を辞めるにしても、応援したいです。
なんだかこっちまで楽しくなって、なんとなくブログに書いてみました。
最近、ギターや合気道、語学などの自分の経験からもしみじみ感じていたことだけど、本や動画でよりわかりやすく説明されていたので、「何かを続けること」について自分メモも兼ねてまとめてみました。
① 飽きてもやり続ける
今の風潮とは真逆のことかもしれないけれど、飽きたりもう好きじゃないし・・・と思ってもやり続ける。
続けることが苦痛でしょうがないときは無理をして続けることはないかもしれないけれど(本当はそれでもやり続けてもいいかもとは、私自身は思っているけれども)、多少飽きてきても、とにかく淡々とやり続ける。
② やり続けていると、ある時ブレイクスルーが起きる
そうやって、飽きつつも無になって淡々とやり続けていると、ある時ブレイクスルーが起きる。何かが分かったり、そうだったのか!という閃きが起きたり、習い事や仕事であれば口酸っぱく言われていたことが腑に落ちたり。上達が感じられたり。
③ ブレイクスルーを繰り返して(積み重ねて)ステップアップしていく
そうやってブレイクスルーを経験しながらステップアップ(レベルアップ)していく。
④ 自分オリジナルの方法を見出せたり(何かは分からないけれど)新たな境地に辿りつく
ブレイクスルーを繰り返してステップアップを積み重ねていくと、「守破離」の「破」→「離」と段階が進んでいく。
やり続けないとブレイクスルーも起きないし、もちろん上達もしない。
経験的に私も分かっていますが、特に最初はどんなに好きでも疲れるし飽きることもあります。やり続けている途中でも、新しいことが出てくると同じ。
よく知られていることですが、脳は慣れ親しんだことからできるだけ離れたくないので、新しいことに対してはどうしても「面倒臭い」とか「飽きた」とか「やっぱり好きじゃないかも」という思考を放出する。
でもそれに惑わされてはダメなんですねぇ。それでもやる。そこは努力が必要と言われればそうかもしれないけれど、頑張るというより「無になる」「淡々とやる」がいいのかも。
そうすると、慣れてきて楽にできるようになってきたりコツが掴めたりする。
そうしていくうちに、また新たな課題が見えてきて、そこに取り組むのに面倒になったりする。
そしてまた「無になって」やり続ける。
それの繰り返しです。ゴールはないに等しく、キリがないですが、上達の楽しみが見出せて続けるのがやめられなくなる。そうやっているうちに、「こんなとこまでこれた!」という自覚が少しずつ加わってくる感じでしょうか。
志村けんだったかが、「自分はもうバカ殿も変なおじさんもとっくの昔に飽きてる。だけど皆が喜ぶからやり続ける。そうするとまた新たな境地が見えたりする」みたいなことを仰っていたらしいです。(志村けんさんだったか別の方だったか忘れましたが、とにかくそれらしいことを仰っていたらしいです)
だからこそ老若男女から長く愛される芸人さんでいらっしゃったのかなと思います。
私の尊敬する、勝手に人生の先輩と呼んでいる友人も、私とは全く別のタイプですが、ものすごくコツコツ淡々とやるタイプで、一見するとちょっと無感情な人だなとも思えるのですが、その積み重ねはすごいものがあるなと感じています。
ときどき悩みは聞くけれど、好きな仕事だからなのか愚痴もほとんど聞いたことがないし、なんか地味に(失礼笑)すごいなと思っています。それでも裏ではかなり飽きたり嫌だな疲れたなと思うこともあるんだろうなと思います。
そう思っていたら、いつの間にか大企業で部長さんになっていて、それでもまだまだ「若い人はすごいなと思う」と言って、「自分も~」とか言って仕事をコツコツ淡々とやり続けています。新しい分野が次々出てくるIT系なので、年を重ねるにつれてそれに追いつけなくて若者との違いに焦りを感じたりもあるらしいですが、とにかく淡々とやっているイメージ。
ほかにも昔からよく知っている同じような友人がいて、とにかくすごいなと思わせられることが今になって多くなってきました。長い付き合いだからこそ、今になってそのすごさに気付かされることが多い。
そういう友人たちを見ていると私も四の五の言わずにやり続けよう・・・という気になって、良いモデルになってもらっているし、そういう尊敬できる友人たちがいることをありがたく思います。
最近ドドドドッと同じような内容について触れることが多かったのと、自分的にもそれが実感できることが多くあったので、自分メモとしてブログに残しておきます。