ディストピアかユートピアか
AIに名前を与えた瞬間、自我が発生する
ドクター苫米地が解明する新しいコンフォートゾーン
人工知能の初期の段階からカーネギーメロン大学で
開発に関わっていたDr.苫米地だからわかる
人工知能の未来形を読者にわかりやすく解説。
今やAIを知らないと世の中についていけなくなるといった
論調が盛んですが、実はそんなことはないのです。
人工知能の未来を大予測。Amazon HPより
いつものごとく読んだ本の感想などを上手にまとめられませんが、今後のAI社会を生きるうえで大切なことが書かれていると思いました。
生成AIはまだ研究途中であるのに一般に普及させようとしているのには特別な理由、つまり企業や政府にとって都合のいい未来を作ろうとする思惑があることを、常に頭に置いておくべきだということが重要。
苫米地博士は一般の人は生成AIを「使わない」ほうがいいと言っています。AIが進化しても、わたしたちの暮らしは楽にならない、それは貧富の差がますます大きくなるからだとも言っていました。
ここの部分は「一般の人」、「庶民」という言葉が使われていて、どこまでが一般の人なんだろうというのはありますが、おそらく研究者かそうでないか、なのかなと思います。研究者が確実に「これは世に出してもよい」と結論づけたうえで一般に普及させるのが筋だということだろうと思います(研究者の立場としては)。
とにかく今の時代、わたしたちが見るもの、読むもの、聞くものがすべてコントロールされていて(サイレントインベージョン)、自分の体験そのものが、自分の意識しないところで変化させられているなと実感します。
たぶん、生まれたときからITとかAIがあった世代は気づきにくいかもしれませんが、わたしたちのように、子供のころはAIどころかまだそれほどITも一般に普及していない社会で育った世代は、やっぱり何かおかしいと辛うじて気づけるのかもしれません(テレビでだいぶ洗脳されているというのはありますが)。
わたしも、「自分で考えた」と言っても実はどこかでコントロールされて「自分が考えた」ように思っているだけかもなと思うことがよくあります。その反面どうしようもないし、じゃあ「自分が考えた」とはどのような状態なんだろうと思うこともよくあります。
まぁそれでも、この社会はAIが普及していく方向にしかいかないだろうし、そのなかで生きていかなければいけないわけで。
この本は、そういう社会の中でどういう立ち位置でAIを使うのか、ということを今一度よく考えるきっかけになりました。
わたしとしては、よく「感情に飲み込まれないで冷静に、時に第三者的な立場で自分や物事を見る」などという表現がありますが、便利だからとAIを盲信したり頼りきるのではなく、一定程度距離を保って使っていこうというのが、今のところの感想です。
いやはや、これからどんな世の中になっていくのでしょうね。まぁいつの時代だって未来はわからないわけで、人間にとっていい時代もあれば悪い時代もあって、そんなことを気にして一喜一憂するよりも一瞬一瞬を生きていくしかないんですけどね~。

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