2023年12月7日

【読了】硝子戸の中

明日の予定がキャンセルになったので、明日夕方締め切りの仕事を今日中に終わらせなくてもよくなり、今日も少しのんびり仕事をしています。


しかし、今日1日なんだか意識散漫で何をする気にもなれず、のんびりしすぎてしまいました。明日新たな仕事が来るので今夜少しがんばらねば。


韓国語が多少できるということで、校正の会社から韓国(語)関連の校正も結構依頼されますが、ここのところ連続で韓国語関連のお仕事が続いています。


翻訳以外でも、こんなところで韓国語が役に立つとは思ってもいませんでした。依頼されるときに、「あやぼうさんが韓国語がおできになると聞いたので・・・」と言われると「はぁ、まぁ・・・」とちょっと恥ずかしくなります。


韓国語、もう少し頑張りたいんだけどなぁ。ここ数年、なかなか語学まで手が回らなくて勉強もしていませんが、フランス語ももう少しできるようになりたいし、ポルトガル語ももう少し聞き取れるようになりたいし、今はかじりかけたロシア語をもう少しやりたいと思っています。


来年は語学をする余裕がもう少しできるといいな。


ちなみに英語校正(主に日英翻訳の校正)も時々ありますが、やはり普通の校正より単価がやや高いのでもっと多くなってほしいなと思います。


さて、今日ギターのレッスンの行き帰りで、ちょっと前から読んでいた夏目漱石の随筆集を読み終えました。


写真撮影、講演、原稿持込、吾輩ハ不機嫌デアル!? 晩年の日常が綴られた随筆39編。 
硝子戸の中から外を見渡しても、霜除けをした芭蕉だの、直立した電信柱だののほか、これといって数えたてるほどのものはほとんど視野に入ってこない――。宿痾の胃潰瘍に悩みつつ次々と名作を世に送りだしていた漱石が、終日書斎の硝子戸の中に坐し、頭の動くまま気分の変るまま、静かに人生と社会を語った随想集。著者の哲学と人格が深く織りこまれている。

こちらは亡くなる約2年前、病気がちになり人生について深く考えながら硝子戸の中で過ごす日々に書かれ、朝日新聞に連載されたごく短い随筆をまとめたものです。

前半は漱石のもとを訪れる人々や出会った人々とのエピソードなどが多く、後半は幼い頃の家族や友人、周りの人々との思い出が主に語られています。

たわいもない出来事や思い出話、昔を回想する話が主で、本当に日記のような感じなのですが、漱石の手にかかるとこんなにも含蓄の感じられる、とても味わい深い文章になるのか・・・と驚きです。

そしてなぜかわからないけれどほゎっと心が温かくなる随筆ばかりでした。

夏目漱石の表向きの性格を表すようなとても淡々とクールに綴られている文章ですが、内に秘めた繊細で傷付きやすい性格、そして心の優しさが端々に感じられます。


特に第33回の随筆は『草枕』の冒頭の名言に通じる内容で、生きづらさにもがく漱石の苦悶が感じられました。

以下JLogosのサイトより
【名言名句】
智に働けば角が立つ情に棹させば流される意地を通せば窮屈だとかくに、人の世は住みにくい
【解説】
『草枕』冒頭に出てくる名句。人づきあいの難しさを説いたもの。世間の人とつきあうときには、頭のいいところが見えすぎると嫌われる。あまりにも情が深いとそれに流されてしまう。また自分の意見を強く押し出すと、衝突することも多く世間を狭くする。人づきあいというのは、智と情と意地のバランスを上手にとらなければならず、なかなか困難なことだ、というのである。


 もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪ずいて、私に毫髪(ごうはつ)の疑いを挟(さしはさ)む余地もないほど明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出て来るすべての人を、玲瓏透徹(れいろうとうてつ=玉のように透き通って美しいこと)な正直ものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授けたまわん事を祈る。今の私は馬鹿で人に騙されるか、あるいは疑い深くて人を容(い)れる事ができないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。(『硝子戸の中』三十三より)


この一節は特に人間関係に関して苦悶する様子が描かれた部分ですが、この本から感じ取れる漱石の観察眼は繊細な感性から生み出されるものであり、人間関係に限らず、人生全般における生きづらさは避けて通れないものだったんだろうなぁと思いました。

 

青空文庫で無料で読めますが、やはり文庫本で注釈つきは読みやすくて助かります。ほかの漱石の小説は祖父の文学全集で読んでいるのですが、分厚くて読みにくいのでなかなか進みません💦💦。文庫本を買おうか迷ってます。


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